芸能界入りを両親から猛反対!それでも秀樹さんの決意は変わらない

芸能関係者から名刺を差し出されて、「え?僕が歌手に?」と驚いた龍雄さん。スカウトしたプロダクションの1人の男性は、彼の歌の上手さを評価していたのです。

中学生の男の子からして見れば、いきなり「歌手」と声掛けされても言葉が返せません。今までベガーズのメンバーの1人として活動してきただけに、歌手となると話は別です。

素人からプロへ転向する…これは15歳の少年が判断するにはかなり迷いもあったことででしょう。

でも今までアメリカ音楽ばかりに魅力を感じていた龍雄さんも、いつしか日本の歌謡曲にも興味を示すようになってきたことも有り、夏休みを利用してとりあえず両親には内緒で東京に出向いていきました。

東京で龍雄さんは、大手の芸能会社の担当者と多く顔合わせをして、色々話し合いをしました。「僕の歌声を芸能会社の人達が認めてくれているのだ。」と確信した龍雄さんは、歌手になる決意がどんどん固まっていきました。

でもまだ中学生でもあるので、ちゃんと高校には通いたいし、両親と相談してから東京へ改めて行くことで話は終わって、広島へ帰りました。

両親に歌手になりたいと話した龍雄さん。ジャズが大好きで、ジャズスクールに通わせるなどしてくれた父なので、もしかしたら賛成してくれるのではないか?と内心思っていました。

ですが両親は龍雄さんの芸能界入りには猛反対しました。特に父の三郎さんは、凄い剣幕で「歌をやるなら趣味でやっていけ!」と激怒しました。母も決していい顔はしていませんでした。

「プロでやっていけるわけないだろ!何考えてんだ、お前ってやつは!」三郎さんが反対するのも無理はありません。龍雄さんはまだ15歳なのです。それに木本家の末っ子でもあり、遠く離れた東京へ我が息子をやるなんて、とんでもないことと思っていたのかもしれません。

とてもこんな調子では両親を説得出来ないと思った龍雄さんは、暫くこの話は伏せ、翌年広島の地元の高校に進学しました。でもやっぱり歌手になりたい気持ちは強まっていくばかりで、ジャズ喫茶で働く叔父が密かに芸能会社の人と契約を交わしてくれました。

でも何故かそのことが父にばれてしまい、龍雄さんはまた父に激しく叱られました。「まだお前は東京へ行くことを考えていたのか?芸能界に入るなど絶対に許さんぞ!」

とうとう三郎さんは龍雄さんを外出禁止にしてしまい、彼の手足を縛って押し入れに閉じ込めてしまいました。「どうして、どうして親父は音楽好きなのに、俺の芸能界入りを許してくれないんだろう…?」と押し入れの中で悲しみのあまり泣いてしまいました。

閉じ込められた押し入れの中から、泣き声を聞いていたのは、龍雄さんの母でした。母もやはり息子の芸能界入りは反対だったのですが、どんなに猛反対をしてもあの子の気持ちは変わらないだろうと察するようになりました。

いくら息子であっても、いずれかは親の元を離れて行く…そう覚悟を決めた母は、押し入れの戸を開けました。父に反対され、手足を縛られた息子の哀れな姿に、母はもう息子の決意をのむことにしました。

そして縛られた手足のひもをほどいてくれました。押し入れからも母は出してくれました。

龍雄さんの母は、「お父さんのいないうちに東京へ行きなさい。」とそっと荷物を手渡してくれました。「え?お袋本当にいいの?」やはり母親は結局は味方になってくれるのです。

息子・龍雄さんに巡ってきた歌手へのチャンス…母としては親がどんなに反対したっていつかは出て行くことになるんだから、その瞬間がついに来たんだと感じてたのですね。

そして龍雄さんは広島の家を後にして、東京へ向かうことになりました。