広島で生まれた秀樹さん!子供時代はどんな少年だったの?

西城秀樹さんこと、本名木本龍雄さんは、昭和30年4月13日広島県広島市で誕生しました。子供時代は秀樹さんではないので、ここでは本名の木本龍雄さんで通すことにします。

龍雄さんの家族構成は父、母、姉、兄、そして龍雄さんの5人家族です。龍雄さんの父、木本三郎さんは、自動車の製品を扱うお店を経営していました。その他不動産屋もやっていました。

龍雄さんが生まれ育った昭和30年代は、戦後の復興に向けて高度成長期の前進の時代でもありました。ですから龍雄さんが物心ついた時から、木本家は結構お金持ちな家庭でもあったのです。

というのは、父の三郎さんが結構音楽好きで、特にジャズに興味がありました。家には昭和30年代にしては高級なものといわれたステレオが置いてありました。

その父の影響で、龍雄さんも幼少時代から音楽に親しんでいたわけです。父の勧めでバイオリンやピアノの稽古をさせられた龍雄さん。しかし飽きっぽいところがあってか、すぐに辞めてしまいました。

結局音楽好きな父に、強制的にバイオリンやピアノを習わされたようで、好きでもないことをやらされることは子供時代の龍雄さんにとっては、嫌々で仕方無かったといえます。

でも龍雄さんは、兄とはとても兄弟仲が良く、いつも一緒に遊んでいました。子供時代の龍雄さんは、食欲旺盛で赤ちゃん~2歳~幼稚園時代は結構ふっくらした体系でした。

やはり子供時代からスポーツは万能で、特に水泳は得意中の得意でした。中学時代の水泳大会で優勝したことがあります。

その反面、大変ないたずらっ子で、両親の手を焼かせてた龍雄さん。でも音楽の勉強はもう小学生の頃から始めていました。

小学校5年生の時、兄と友人たちと「ベガーズ」の名前でグループ結成し、文化祭で歌を披露していました。龍雄さんが担当していたのは、ドラムです。この時石原裕次郎さん主演の「嵐を呼ぶ男」の映画を見た龍雄さんは、裕次郎さんに憧れ、ドラムの勉強にますます磨きがかかっていきました。

ドラムをたたくことが大好きになった龍雄さんは、いつしかミュージシャンになりたい夢を抱くようになりました。

中学生になってから、グループサウンズが流行し、龍雄さんは中学の文化祭で兄と一緒にステージに上がって音楽を披露しました。別に龍雄さんはボーカルを務めてたわけではないですが、もう彼はすっかり勉強や3度の食事よりもドラムをたたくことが大好きで、毎日練習を続けていました。

まさしくドラムが生きがいと言ってもいいでしょう。兄や友人たちと「ベガーズ」のグループ名で活動していた龍雄さん。一体彼らは何処で音楽の練習をしていたのでしょうか?

それは何と!木本家の地下室だったのです。父が不動産を持っていたので、近所迷惑になることなく、そこで練習をしていたのです。

父の三郎さんは、自分の息子たちに音楽の良さを教えたい一心で、ドラムやエレキギターを買いそろえてくれました。昭和30~40年代の暮らしとしては、考えられないですね。

でも父のお蔭で龍雄さんは、どんどん音楽の世界に引き込まれていきました。グループサウンズ、ビートルズ、その他外国の楽曲にも関心を引くようになっていき、まさしく彼は音楽少年になっていたのです。

その活動が今後彼に取って大きなことが待ち受けているなんて、まだ知る由もありませんでした。