1972年3月にデビューした秀樹さんではありますが、同じ年に郷ひろみさんが「男の子女の子」でデビューしています。秀樹さんの方がひろみさんより5か月デビューは早かったのですが、新人当時はどういうわけか秀樹さんより、ひろみさんの方が上手でした。
前年1971年5月1日には野口五郎さんが「博多みれん」でデビューをし、秀樹さん、ひろみさんより1年先輩になります。
そこで同学年のこの五郎さん、秀樹さん、ひろみさんは「新御三家」と呼ばれるようになり、今後何かと比較されるようになりました。
五郎さんはイケメンで、歌唱力があり、ひろみさんは女の子の様に可愛い面がありました。しかし秀樹さんには何があるというのでしょう?1972年のレコード大賞新人賞候補に何故か秀樹さんは選ばれず、涙を流しました。
同期デビューしたひろみさんが、デビュー曲「男の子女の子」の大ヒットでその年の最優秀新人賞を獲得しました。そして五郎さんはNHK紅白初出場を果たしました。
秀樹さんは、レコード大賞の新人賞を狙ってはいたのですが、デビュー曲「恋する季節」の売上トータルから比較すると、郷ひろみさんのデビュー曲「男の子女の子」には勝てませんでした。
ひろみさんはジャニーズ事務所の出身ということで、売り出しをしていました。ですからジャニーズ系のタレントや歌手はとても人気があり、それが影響してかひろみさんに差をつけられてしまったことも考えられます。
ひろみさんの女の子のような甘いルックスと、「男の子女の子」のヒットが評価され、彼は新人賞を獲得出来ました。
NHK紅白歌合戦に関しては、野口五郎さんは10代で最年少の初出場ということで、有名になり、新御三家の中で秀樹さんだけが1972年の年末は何も手にすることが出来ない悔しさがありました。
やはりこの1970年代前半の男性歌手は、ルックスと歌唱力が評価の対象だったのでしょうか?
でも秀樹さんだって歌唱力はデビュー当初から十分にありました。新御三家で3人はこれからもライバルとして、時には仲の良い友人として付き合っていくわけですが、やはり秀樹さんは五郎さん、ひろみさんにはない何かを持っていたのです。
それが何なのか、1972年当時は分かりませんでした。
五郎さんは2人よりは1年先輩であっても、デビュー曲は演歌でしたがヒットせず、すぐにポップス系に路線を変更させたら成功することが出来ました。
ひろみさん、五郎さんより差を付けられた秀樹さんは、どんな形でアイドルへの階段を登っていくのでしょうか?
でも4曲目「青春に賭けよう」をリリースした時には、「青春歌謡」と評価され、誰でも口ずさむことが出来るようないい作品だったと秀樹さん自身語っています。
この曲は1970年代の若い男女対象の「何事にもくじけないで!ソング」にも聞こえます。当時の私は小学校低学年でまだまだ小さくて、西城秀樹の名前は全然知りませんでした。
でも年を追うごとに私も秀樹さんのことを徐々に知りつつある頃でもありました。