1973年のレコード大賞で、最優秀歌唱賞を受賞した秀樹さん。翌年1974年に入ると、ますますアイドル路線への階段をどんどん登っていくことになりました。
秀樹さんは子供の頃から、アメリカのロック系が好きで父の影響もあってか、いつも憧れていました。マイクスタンドを持ちあげて歌うアメリカのロック歌手を見て、秀樹さんも自分でこの方法を取り入れた歌唱をしてみたい!と思うようになりました。
でもマイクスタンドを持って歌うことは、当時日本の歌謡界には全然ありませんでした。何でも新しいことにチャレンジ旺盛な秀樹さんは、体全体の動きを活かして何とかマイクスタンドで歌うことを希望していました。
その秀樹さんの希望を取り入れた曲が1974年2月25日リリースの「薔薇の鎖」です。この曲で秀樹さんは、大胆にもマイクスタンドを振り回して、激しいアクションで歌唱する姿をテレビの前で披露しました。
この曲で私が初めて「西城秀樹」の名前を知るようになったのです。出だしの歌詞の「愛する二人は離れていても~寂しくはないさ夜も朝も~薔薇の鎖が2人を結ぶ~♪」この部分を聞いた時、私は「あれ?薔薇の花に鎖なんかあったっけ?とげはあるけど。」って不思議な思いで秀樹さんの歌をテレビで見ていました。
小学生で、アイドル歌手という存在がまだ理解出来てなかった私は、この時から秀樹さんの歌う姿を真似するようになりました。マイクスタンドを持ちあげる姿は、大人だけでなく、子供にまでインパクトを残したのです。
ですから学校で秀樹さんの「薔薇の鎖」を真似て歌ってる男子たちが結構多かったのを覚えています。男子児童にとって秀樹さんの歌いぶりは「かっこいい!将来あんなふうになりたい!」と言いだす子がいましたね。
そして「激しい恋」「傷だらけのローラ」など、続々とヒット曲を出し、大人の女性ファンはますます「ヒデキ~!!」と彼の魅力に魅かれて行きました。
激しい恋の「やめろといわれても!(ヒデキ!)今では遅すぎた!(ヒデキ!)」左足をあげるポーズを真似て歌うことも当時流行りました。歌詞の間に入るカタカナのヒデキコールは、本当に女性ファンをどんどん魅了していきました。
魅了させたのは「薔薇の鎖」、「激しい恋」だけではありません。秀樹さんの代表曲の1つである「傷だらけのローラ」は、まさしく絶唱型に相応しい曲であり、体全体で激しいアクションを起こして歌唱するインパクトがあります。
ですから小学生の私からしてみると、当時の秀樹さんの歌い方を見て、「何故この歌手は苦しそうに、力入れて歌ってるの?」と思っていたのです。
大人になって分かったことは、「傷だらけのローラ」のあの秀樹さんの歌い方は彼独自の表現の仕方、特徴であったことが分かったのです。
曲の間奏中に秀樹さんが「ローラ!お~ローラ!」って叫ぶシーンがありますよね。あれを聞いてると何だか自分に呼びかけてるみたいで、大人の女性からしてみると、秀樹さんはやっぱり魅了させてくれたんですね。
「傷だらけのローラ」のヒットで、彼は1974年NHK紅白歌合戦の初出場を果たしました。衣装は黒く、「カイケツゾロリ」と呼ばれていました。ちなみにカイケツゾロリとは、原ゆたかさん原作の児童書の主人公の狐のことを言います。
1974年発表した「薔薇の鎖」「激しい恋」「傷だらけのローラ」は秀樹さんにしか歌えない曲であり、そして歌謡界に新しい風を吹き込んだ年でもありました。