1980年をさかえに、男女ともにアイドル路線が変わりつつありました。やはり山口百恵さんの結婚・引退が大きな栄目を作ったとも言えるのではないでしょうか?
1980年、女性新人歌手がいきなり人気度を上げてデビューしたかと思えば、男性新人もどんどん出てきました。それが「たのきんトリオ」です。「たのきんトリオ」は田原俊彦さん、近藤真彦さん、野村義男さんの3人で、TBSドラマ「3年B組金八先生」からデビューしました。
彼らは郷ひろみさんの出身でもあるジャニーズ事務所のメンバーで、デビュー当初から人気がありました。これはもう1970年代の新御三家の後継者として、かなり期待感が大きかったですね。
この「たのきんトリオ」の誕生で、秀樹さんは先輩アイドルとして追われる立場になってきました。たのきんメンバーは当時全員15~16歳。一方の秀樹さんは25歳でした。
年齢から比較しても、やはり10代の若者に注目がいきがちになり、20代半ばの秀樹さんからしてみると、70年代のアイドルだってまだまだ負けてはいられない!って思いがありました。
70年代のアイドルは容姿と歌唱力が勝負の世界でしたが、80年代のアイドル達にはもうそれは通用しない世界になっていました。
歌は下手でもルックスがよければいいとか、多少やんちゃな面があっても80年代ではそれが当たり前みたいなものを感じていました。
ですが秀樹さん、ひろみさん、五郎さんのように70年代のアイドル、新御三家は出す曲をとても大事に歌い、過去の作品などもコンサートで歌うなどしていました。
でもたのきんトリオの誕生で、アイドルの形もガラリと変わり、そこから一気にアイドル系の番組も増えてきたような気がします。例えばテレビ東京の「レッツゴーアイドル!」「ヤンヤン歌うスタジオ」など、とにかくジャニーズ事務所のタレントたちが大幅に活躍するようになりました。
確かに常に後輩アイドルに追われるようになった秀樹さん。でもたのきんが出てきても、ひるんではいませんでした。
ザ・ベストテンで80年代のアイドルと共にテレビに出ても、秀樹さんはやっぱり秀樹さん。彼自身の持ち味でその後もヒットを飛ばしています。
歌唱力だって、後輩アイドル達と比べたらとても素晴らしいです。さすがにベテランアイドルは負けません。
1980年代以降の秀樹さんは、完全にアイドルから大人路線の歌手になっていきました。オリジナルアルバムにしても、結構バラード系が多くなり、昔の「愛の十字架」「傷だらけのローラ」のような激しいアクション系から、落ち着いたムード雰囲気の曲をリリースする傾向にありました。
1981年では「リトルガール」「セクシーガール」「センチメンタルガール」など、ポップンロールの楽曲を取り入れ、彼はそれを「ガールシリーズ」と呼んでいました。
そしてデビュー10周年ということで、「ヒデキ元年」と名付けるなど、秀樹さんらしい活動をしていました。
この頃の秀樹さんは、文化放送で、毎週日曜日にラジオ出演するなど結構レギュラーとして多忙な日々を送っていました。
特に印象的だった「サンデーわいわい広場」。この番組は秀樹さんが太田裕美さんと共に司会をして、スタジオにファンを呼んで番組を構成するものでした。スポンサーが「ハウス食品」でしたので、勿論まだ秀樹さんは「バーモンドカレー」のCMに出演中で、あの有名なセリフ「ヒデキ、感激!」が続いていましたからね。
10年以上アイドルを保っていた秀樹さん!まだまだ80年代のアイドルには負けてませんでしたよ!
「たのきんトリオ」どんとこい!だったんではないでしょうか?(笑)