1972年3月25日「恋する季節」でデビュー!歌手西城秀樹の誕生

龍雄さんが歌手としてデビューすることが決まり、後は彼の芸名をどうするか?どんな芸名が彼に相応しいのか、芸映プロダクションのスタッフは考えました。

1960年代~1970年代にかけて、デビューした歌手は殆どが本名ではなく、芸名を名乗ることが多かったです。それが当たり前の時代でもありました。例えば戦前から戦後にかけて一世風靡した美空ひばりさんもれっきとした芸名です。彼女の本名は「加藤かずえさん」、それから今も演歌で活躍されている五木ひろしさんの本名は、「松山数夫さん」です。

そんな龍雄さんにも歌手として、テレビで歌うこととなれば、いかに視聴者に注目されるような親しみやすい芸名をつけなくてはなりません。

そこでスタッフは龍雄さんの芸名を「女学生の友」という名前の雑誌で一般公募することになりました。

女学生の友とは、1950年4月から1977年12月まで発行された、当時女子中学生、高校生向けの雑誌として読まれていました。

木本龍雄さんの芸名は一般の女性読者から沢山提案があり、色んな候補がありました。そして彼が広島県広島市に西城町があると話しており、名字は西城、下の名前は秀樹と決定しました。

広島で生まれ、そして東京に出てきた少年木本龍雄さんは、歌手西城秀樹として1972年3月25日、RCAレコードより「恋する季節」でデビューをしました!

このデビュー曲「恋する季節」をレコーディングした頃のエピソードがあります。それはまだ高校生でしたので、学生服を着たままでレコーディングをしたということです。本名木本龍雄さんはこれから芸名西城秀樹として、本格的に芸能界入りを果たしました。

初めての曲を録音した秀樹さんは、照れながらもやっと自分も歌手になれた嬉しさで一杯でした。でもこれからが本当の真剣勝負です。レコードは売れないとヒットには繋がりません。

秀樹さんが「恋する季節」で歌手デビューした時は、私は小学2年生でとても小さな子供でした。小学2年といえば、まだまだ歌手とか流行歌に興味を引くなんてことはなかったですね。

ですからテレビで新人の秀樹さんがどう出てきたのか、全く覚えていません。あの頃の私はどちらかといえば、ドリフターズの「8時だヨ!全員集合」などのお笑い番組が大好きで、歌番組は殆ど見てなかったと思います。

でも新人歌手にとって、デビューしてレコードを出すってことは、芸能界入り1年生でもあり、本当にこれから曲が売れるのかどうか、本当に興味深いものがありますよね、どんな時代でも。

さて、秀樹さんがデビューした1972年ですが、「恋する季節」の最終ランキングは42位でした。「オリコン」という名前のレコード売り上げランキング情報誌があるのですが、結局秀樹さんの「恋する季節」の上位ランクインは叶うことはありませんでした。

デビュー曲からいきなり知名度を上げるのって、かなり難しいことがよく分かりました。

1970年代前半の歌謡曲の1曲の長さは3分にも満たない短いものが多かったです。でも若々しい秀樹さんの声を聞きますと、デビュー曲からもう歌が上手だってことが分かります。

でも秀樹さん、自分でレコードキャンペーンなどをして、結構最初は苦労していました。1人でも多く自分の曲を聞いてもらうために、自分自身が顔だしをして、デビューシングルを販売していました。

しかしなかなかレコードは売れませんでした。