1974年デビュー3年目にして、大ヒットになった秀樹さんの代表曲の1つ「傷だらけのローラ」。激しいアクションと彼独特の歌唱力が評価され、2年連続「レコード大賞」の歌唱賞を受賞しました。
1973年では「ちぎれた愛」、そして1974年「傷だらけのローラ」で歌手にとって名誉である賞を秀樹さんは2年連続獲得することが出来ました。これこそ彼自身の天性の才能と言えるのではないでしょうか?
そして1974年のNHK紅白歌合戦に初出場して、ライバルでもある五郎さん、ひろみさんと共に新御三家が全員そろいました。秀樹さん、当時19歳。10代にしては本当に歌唱力がありました。70年代のアイドルは本当に容姿だけでなく、歌唱力が優れた歌手が多かったとも思えます。
ところで秀樹さんのこの「傷だらけのローラ」のフランス語バージョンがあることをアナタはご存知でしょうか?私は昔から秀樹さんのこのフランス語バージョンがあることは知っていました。
では秀樹さんが何故「傷だらけのローラ」のフランス語バージョンを出したのでしょうか?これには理由がありました。秀樹さんがこの曲で最優秀歌唱賞を受賞したことにより、激しいアクションと彼独自の歌唱力を日本だけでなく、海外にも出した方がいいのではないか?とのスタッフの考えがありました。
秀樹さん、デビューして初めての海外進出を狙うことになりました。秀樹さん自身もこの計画にはノリノリでしたので、翌年1975年1月、フランス語で「傷だらけのローラ」をレコーディングしました。
「傷だらけのローラ」フランス語バージョンは、フランスだけでなく、ヨーロッパ各国で販売され、一方離れた地域ではカナダにもこのフランス語バージョンが販売されました。
特にカナダではこのフランス語バージョンが評判がよく、レコード売り上げを2位にラインクインするほどの大ヒットとなりました。
あれほどのインパクトを残した「傷だらけのローラ」ですが、若い秀樹さんにしてみれば、日本語、フランス語の両方で歌いこなすのは相当大変だったことでしょう。
フランス語は英語より難しいとされていますので、覚えるのも大変です。でも秀樹さんは歌手として、世界中の人達にこの「傷だらけのローラ」を知ってもらおうと必死に頑張って歌っていたんですね。
国内の歌番組でもフランス語で歌う姿を見た覚えがあります。コンサートでは日本語とフランス語を両方取り混ぜて歌うこともありました。
しかし多忙な秀樹さん。力一杯声を出して歌いすぎたのか、一時声帯を痛めてしまった時期がありました。あれだけ熱唱型・絶唱型を言われるようになった秀樹さん。歌手にとって声帯はとても大事です。痛めてしまうと大変なことになります。
大きな病院で検査を受けた秀樹さんは、手術するほどもう少し一歩手前まで声帯を痛めていたことが判明しました。それで大事をとり、入院をしました。
その時は海外でのレコーディングを予定していましたが、やはり治療優先ということで、全てのレコーディングの仕事はキャンセルしました。
日本では「傷だらけのローラ」のフランス語バージョンの販売はされることはありませんでしたが、1999年発売のシングルコレクションCD-BOXには何と!この「傷だらけのローラ」のフランス語バージョンが入っています。
勿論1975年当時の秀樹さんの歌唱のまま、フランス語で入っています。興味のある方、一度聞いてみては如何でしょうか?
日本語とは違った秀樹さんの魅力が満載ですよ。