デビュー2年目!「情熱の嵐」でたちまち秀樹さんの人気は急上昇!

1973年、秀樹さんはデビュー2年目を迎えました。「恋する季節」「恋の約束」「チャンスは一度」「青春に賭けよう」の4曲が思うようにヒットせず、秀樹さんは新御三家のライバル、そして友人でもある五郎さん、ひろみさんにかなり差をつけられ、辛い状態でした。

でもやっと!秀樹さんにも大きな転機が訪れます。それは1973年5月25日リリースの「情熱の嵐」が初めてオリコンのベストテン入りを果たすことが出来たのです!

この情報をスタッフは大喜びして、「情熱の嵐」がきっかけで秀樹さんの知名度がますます上がっていくこと間違いなしと確信したからです。

レコードの売上も今までとは違って、バンバン伸びていき、ここで本格的にアイドル「西城秀樹」の名前が一気に知れ渡っていきました。

出だしの歌詞が「君がのぞむなら~命をあげてもいい~♪」何とも女性のハートをつかんで、女性ファンが一気に増えて行きました。

歌謡ショーで秀樹さんが登場すると、「キャーヒデキー!!」とまたたくまに若い女性の声の歓声が広がりました。この時代の女性のキャーキャー声を「黄色い声」とよく聞きました。

秀樹さんの歌唱で、女性観客は少しでも彼のところへ近づこうとしたり、紙テープを投げたりして、ものすごい騒ぎとなりました。

でもこの「情熱の嵐」の大ヒットのお蔭で、今後の秀樹さんのリリースするシングルは、ベストテン入りが続くこととなります。

それに歌詞の間に「ヒデキ!」と叫ぶ声をはさんだりと、まさしく秀樹さんの歌唱は激しさを増していきました。そうなんです、これが秀樹さんの熱唱型と呼ばれる形となり、五郎さんやひろみさんにはない秀樹さんの魅力・特徴を引き出すきっかけとなったと言えます。

ですが秀樹さん、折角「情熱の嵐」がヒットしたというのに、歌を離れてしまうと普通の10代の少年に戻ってしまいます。いくら曲がヒットしてもやはりまだ18歳で、芸能会社の係の人のアパートに居候生活は続いていました。

18歳の男の子なら、普通は食べ盛り。家にいれば食事は思いのまま食べられます。ですが今は広島の実家ではなく、他人の家にお世話になっているので、食事をさせてもらってると言っても、お腹一杯食べるもんじゃないと遠慮していました。

だから折角食事をしても、何か物足りなさを感じていたのです。歌を離れた秀樹さんは、やはりアイドル路線を登り始めたと言っても、まだまだ子供っぽさが残ってたんですね。

「情熱の嵐」のイントロで、秀樹さんの「う~!う~!」ってうなる声がまたいいんですね。18歳の少年にしては本当に野生的な感じを受けます。

この曲のレコーディングの時、秀樹さんは何を考えていたのでしょうか?秀樹さんはコンサートのレパートリーで「情熱の嵐」を取り入れています。

やはり彼自身初のベストテン入りした曲なので、印象深いものがあったんでしょう。

それから1973年9月「ちぎれた愛」、同年11月「愛の十字架」をリリース、立て続けに1位の座を獲得し、年末のレコード大賞では「最優秀歌唱賞」を受賞しました。

この「最優秀歌唱賞」は歌手に取って、「歌が上手」と高評価されるレコード大賞グランプリの次に名誉な賞なんです。ですから歌手であれば誰もが欲しがる賞でもあります。

デビュー2年目で「最優秀歌唱賞」を受賞した秀樹さん。これは凄いことです。本当に歌の才能があったんだと改めて分かりました。