小学校5年生から兄、友人たちとベガーズを結成してから、いつしか数年が過ぎて、龍雄さんは中学生になっていました。ベガーズ活動は順調だったのですが、やはり各自の担当する楽器はどうしても必要であり、古くなったものは買い変える必要がありました。
メンバーの中で一番年下の龍雄さんも、新聞配達や牛乳配達のアルバイトをしながら、楽器を買うお金をせっせと貯めていました。
ですがバイトで稼いだお金は全て年上のメンバー用の楽器代金として消えてしまい、龍雄さん専用のドラムの買い変えのチャンスはなかなか回ってはきませんでした。
「自分は一番年下だから仕方無いか。」と諦めてた龍雄さん。でも音楽好きなのは仲間と同じなので、その自分のバイト代が仲間のために消えていくのはもう仕方のないことだと、半ば割り切っていました。
でもやっぱり自分のバイトで稼いだお金は手元に残したい、好きな音楽をすることでもっと稼ぎになるバイトはないものか?と龍雄さんは思うようになりました。
そんな時、龍雄さんの叔父(父方、母方は分かりません。)がジャズ喫茶で働いていたので、中学3年の夏休み、叔父の声掛けでジャズ喫茶でアルバイトを始めました。
中学生といえば、思春期の真っただ中、そして男の子は成長期でもあり、龍雄さんは、この頃背が急に伸びました。ちなみに小学生時代は背が小さい方で、なかなか身長が伸びませんでした。
背の伸びた龍雄さんは、本格的にジャズ喫茶でドラムをたたくバイトを始めました。
龍雄さんは、どちらかと言えば、国内の音楽よりアメリカの音楽に魅力を感じていました。アメリカ人のようになりきって、ドラムをバーン!と思い切りたたいては、ミュージシャンになりたい夢をますます膨らませていました。
中学3年の夏休みとなれば、高校受験の準備もあります。ですが勉強の傍ら、龍雄さんはドラムをたたけばたたくほど夢を実現させたい願望が強くなっていきました。
広島に、とある有名なアメリカグループがバンドライブでやってきたときに、龍雄さんはベガーズの仲間たちと一緒に見に行きました。そのライブに感動した龍雄さんは、「どうしてもミュージシャンになりたい!」と仲間たちに話しています。
中学生なら、大人になれば何になりたいのか?本当に夢見る年頃ですよね。龍雄さんはもうハッキリと自分自身の中で音楽関係のことをしたい目的がありました。
その頃木本家は、引っ越しをしました。同じ広島市内ではありましたが、今まで住んでいた家がすっかり狭く感じてきたので、父の三郎さんが新築を決めたのです。
息子たちに自分の音楽好きを吹き込んだ父の三郎さんは、家を新築してから、素人のバンドグループを家に招いては、一緒に食事をしたり、泊まらせたりするなどして一気に木本家は音楽ファミリー一色になってしまいました。
そして龍雄さんの方は、またまた叔父からの勧めで、ドラムをたたくより歌う方がバイト料がよくなるということで、歌を始めました。これがいわば龍雄さんのこれからの人生に関わってくるきっかけとなるのです。
どちらかというとアメリカ音楽に魅力を感じていた彼ですが、日本人歌手では布施明さん、尾崎紀世彦さんに憧れていました。
ですから歌を始めた時には、彼は布施さん、尾崎さんの歌をメニューに取り入れていました。
叔父のジャズ喫茶には、東京からの芸能プロダクションの人がよく出入りしており、たまたま偶然龍雄さんの歌声を聞いたプロダクションの1人が、彼の隠れた才能を見抜いていました。
そして名刺を差し出し、龍雄さんに「歌手を目指す気はないか?」と声掛けをしました。
これこそスカウトの瞬間です!